愛煙家(石田竜弦)

…世の中は禁煙運動の嵐が吹きすさび、会社、駅、鉄道、タクシー、映画館から遊園地に至るまで、ありとあらゆるところに禁煙領域が設定され、年とともにまるでガン細胞のようにその範囲を増殖している。
対照的に、煙草を吸える場所はごくほんの一部となってしまった。ワクチンを打たれて僅かに生き残る病原菌のようなものだろう。

今現在、応接室に灰皿が置かれている確率はどれほどのものだろうか。
いや、あったとしても唯の飾り物と化し、本来の使用目的で使用しようものなら、それを片付ける者の眉が顰められる方が多いに違いない。

喫煙者は今現在、限られた喫煙所でコロニーを形成し、肩を寄せ合い煙を吐く時代となった。


家で喫煙を禁止された者が、例え吹きすさぶ冬でも、ベランダに出てたばこを吸う姿をホタル族などと呼ぶようになって久しい。


喫煙そのものが悪という訳か。

・・・くだらん時代だ。


煙草も酒も嗜好品だ。
嗜好品というものは、摂取しすぎると得てして体を害するものだ。
それを承知で、人は嗜好品を好む。
その中で過剰摂取が人体に相当と云えるほど悪いと明らかに立証されているものは、成年になってからと法律で義務付けられている。

つまり、成人が持つべき自覚が足らん奴が手を出すべきものではない。
だが、その自覚が足らん奴ほど、手を出したがる。
そして、周りに下らん迷惑をかけ、禁煙運動に拍車をかける。

ありとあらゆる場所から灰皿が撤去されるに伴い、私が手放せなくなったものがある。
携帯型灰皿だ。
禁煙になっていない場所でも、ただちに火を消さなければならない時もある。そんな時に吸殻を入れる為に必要となった。

禁煙の嵐は私が院長を務める空座総合病院にも押し寄せた。
病院内の一角に喫煙スペースを確保していたのだが、禁煙の嵐はその僅かな場所さえも消し去った。

「病院は病気を治す所であるにもかかわらず、体に悪い煙草を吸わせる所を堂々と設置するのはおかしい」

・・確かに的を得た意見だが、入院患者は病気だけではく、骨折患者もいる。その中には他は健康で喫煙家もいるはずだ。
入院生活はストレスがかかる。そんな彼らにささやかな喫煙スペースを与えることがおかしいとは私は思わない。

「喫煙スペースを設けても、扉が空いた拍子にスペース内の煙草の煙と匂いが外に漏れて気分が悪い」

それについては改善する余地がある。ただ、あまりに限られたスペースに喫煙者が押し寄せて喫煙しているため、空気清浄機の処理能力を超えているのだ。
その予算を計上させているのだが、事務方の強硬な反対に会い、成功にはいたっていない。

職員の中からも、院内禁煙は現在の常識。院内に喫煙スペースを設置していることは、病院のイメージを悪くしかねないとの意見が相次ぎ、已む無く院内の喫煙所を閉鎖することとなった。

その代りに私の職権で正面玄関の脇に新たに喫煙スペースを作らせた。
入口を玄関方向に作っていないので、煙がそちらに流れていく心配もない。

事務方には相当厳しい反対にあったが、こればかりは通した。
しかし、敷地内に吸殻が落ちるようなことがあれば、この場所も危うくなるだろう。

そして、空座総合病院は院内禁煙の場所となった。
その効力は、院長室にも及ぶらしい。
それまであった灰皿はいつの間にか撤去されていた。
院長が院内で吸っているようでは、他の職員に示しがつかないというわけだ。


・・・・フン、やってられるか。


自ら難しいオペをした後などは、煙草が吸いたくなるものだ。
煙草を吸って気を落ち着けることが何故悪い。
院長室は私の部屋だ。他に迷惑をかける者など居ないだろう。


院長室で煙草に火をつけ、煙を一吐きした時だ。

「院長!!またタバコ吸ってらっしゃいますね!!
院内禁煙ですよ!!」

・・看護師長か・・・煩いのに見つかったな。


院長の私に説教するこの女は、私より10も上だ。
無論、この病院に勤める年数は私よりも格段に多い。

「また隠れてお吸いになって!!だいたい院長は煙草吸いすぎですよ!!
禁煙なさったらどうです?」

・・・・・・余計なお世話だが、そんな事を言えば更に煩くなるだけだろう。

・・煩いのは嫌いだ。こんな時は直ぐに火を消すに限る。
そして、この部屋には灰皿が無い。
ポケットの中の携帯灰皿で消すこととなる。

そして、また人がいなくなれば煙草に火をつけ、見つかれば消す。
この年になって、ガキのように隠れて吸わんといかんとはな。


「おい、石田。ここ禁煙じゃねえのか?」

・・黒崎め・・余計な物に気づいたな・・。

視線の先には見ずともわかる、どでかく書かれた「院内禁煙」の文字。
無論、あの看護師長の差し金だ。
ちなみにあの看板は私の喫煙を見つけた所に、貼られていく。


・・自分の病院で満足に煙草も吸えんとは・・・。
下らん時代になったものだ。


思いつつ、ポケットから携帯灰皿を取り出した。





なんちゃって。

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