救急患者(外科医、檜佐木修兵)

マンションの高層階の大きな窓に二つの影が映っている。
ブラインドはあるが、閉められてはいない。
閉める必要が無いからだ。

そう。閉める必要は無い。
周りにはこれ以上高い建物は無いのだから。

背の高い影が不意に小さな影をひき寄せた。
一つに重なる影。

途端に、室内には濃密な空気が立ち込める。

その日の夜から翌日にかけて、修兵はめずらしくオフだった。
殺人的とも言える勤務スケジュールをこなすタフな修兵だが、優秀であるだけに、病院側としては倒れられては困る。
休日というものをなるべく修兵が取るよう、一応病院側も配慮はしているようだった。

そしてそんな修兵に呼び出され、一人の女が今まさに修兵の腕の中に取り込まれている。

腰を強めに引き寄せれば、自然にあおのく顔。
修兵の唇が降りてくるのを見て、目を閉じる。
しかし、予想した唇は何時までたっても降りてはこない。
不審に思った女が目をゆっくり開ければ、目の前には修兵の端正な顔があった。
強烈な視線。視線にさえ熱を感じるような。

思わず頬を染めた女が視線をずらせようとすると、更に腰を強く引き寄せられ、さらに背を逸らされる事で阻まれた。
相変わらず修兵の表情は動かない。
「・・修・・兵・・?」
躊躇いがちな女の呼びかけに、止まっていた唇がまた降りようとしたその時だった。

ピピピピ・・ピピピピ・・・。

修兵の携帯電話が無粋に鳴りはじめる。
女も知るこの着信音は・・・病院からの緊急呼び出しだ。
途端に修兵の動きが止まった。何かを逡巡するような表情を一瞬見せる。女にしか聞こえぬ小さな舌打ちの後、掠めるようなキスを落として、修兵は携帯をとる。

「・・もしもし。」
普段よりも低い声は、機嫌が悪い証拠だ。
修兵の勤める基幹病院は、当直医の基準をクリアした病院だ。
それにもかかわらず、オフの修兵に電話がかかってくるという事は、事態が重篤である証拠だった。

「・・はい。・・・はい。で?容体は?・・・はい。解りました。今から行きます。」
チラリと修兵が女の方を見やると、女は肩をすくめ、ため息しつつも、にこりと笑った。

『・・解ってるわ。行ってらっしゃい。』

修兵が電話を切ると、女は嫌な顔一つせず、「大変そうね。」と修兵を労った。
「・・・・・・。悪い。」
端的な言葉は修兵の本心だ。
解ってる。女は笑みでそれに応えた。

「じゃあ・・私は今日は帰るわね。明日は私も仕事だし。」
言いつつ、帰ろうとした女の手首が、修兵に握りこまれた。
「・・・?修兵?」

「・・・帰るな。」と言うと、いきなり、修兵は女の衣服に手をかける。
「な・・・・?」驚く暇もなく下着のみになった女を、修兵は軽々と抱え上げて、ベッドまで運んだ。
上掛けを外すとベッドの上に女を降ろす。そして上掛けをかけた。

「修兵?!いったい・・?!」
驚く女に修兵が言う。

「4時間以内に戻る。その格好で待っていろ。」
「な・・何を・・。」
「待っていてくれ。」
「・・・。」

修兵の口調が少しだが柔らかくなる。

「・・・寝てていいから。」
「・・・・。解ったわ。・・行ってらっしゃい。」

それを聞き、フッと笑った後の修兵は素早かった。
必要最小限の物を持ち、病院へと出て行った。


修兵が病院につくと、看護師たちは待ち構えていた。
術衣に着替え、手を洗い手術の準備をする修兵に、患者の状況を説明していく。
レントゲンを見、手術の方針を確認しあえば、外科医としての修兵の戦いが始まった。

『・・・3時間で終わらせる。』
修兵の手術スピードは速い事で知られているが、その修兵でも今回の手術を3時間で終わらせるのはギリギリだ。
だがやる。無論手術の精度は落とさない。それは修兵のプライドにかけても。

そして・・・。

「オペ、終了。」
2時間55分後だった。

その後、さっさと術衣を私服へと着替えようとして修兵に、先にオペを終えた同僚の阿散井恋次が声をかけた。
「あれ?檜佐木さん、今日は水浴びないんですか?」

修兵は、手術後必ずと言っていいほど水を浴びてクールダウンする。
それを知っているだけに、恋次は奇異に見えたようだ。

術後の、獣のような独特のオーラを漂わせる修兵が、底光りするような眼を恋次に向ける。
「・・・いらねえ。今日は帰る。じゃあな。」

その勢いに押されて、豪胆な恋次すら「あ、おつかれっす・・。」と言うだけだった。



・・そして・・
深夜のベッドルームには小さなルームランプが一つ灯っていた。
薄明かりの中で、女が安らかに眠っているのを見る。
ベッドの端に腰かけ、女の方へ屈みこんでキスを送る。

ゆっくりと開けられる瞼。
ふわりと笑って「おかえりなさい。」とかすれ気味の声がかけられた。

「・・・眠っている所を悪ィ。」

修兵の上半身の衣服が脱ぎ棄てられる。
無駄の無い肉体。
それだけで強烈なオーラを放っていた。

「急患だ。治療を頼めるか?」



女が驚いたような顔をし、そしてくすっと笑うのが見えた。








なんちゃって。
 

 

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