梅雨の氷(日番谷冬獅郎)

『・・雨が降る。
・・降るのは梅雨の雨。

・・霧雨の様な細かい水滴は
・・降っているような
・・止んでいるような

・・肌寒いような
・・蒸し暑いような

・・徐々にゆっくりと胞子を飛ばし、しかし確実に増殖するカビ。

・・それは・・・


・・まるでこの世界のようだ。』



「あ〜〜あ、もう3日も雨ですよ〜?
いい加減嫌になっちゃう。」

十番隊隊首室。
言っても仕方のない天気への文句が早速飛び出している。

「仕方ねえだろうが。
今は梅雨だ。降らねえ方が異常気象ってもんだろう。
そんな事より、松本。昨日言っておいた書類はもう出来たのか?」
「え?なんの書類でしたっけ?」

見事にスッパリと言いつけておいた仕事を忘れられて、日番谷の眉間の皺が二ミリほど深くなる。
「・・・・。
非常時における、隊員の配置案だ。今日の朝出せと言っておいたはずだ。」
「え?いつおっしゃいましたっけ。」
「・・・・・・・。
正確な時刻は解らねえが、昨日の午前九時半ごろだ。お前が、寝坊で遅刻してコッソリ入ってきた確か三〇分くらい後だったと思うがな、松本。」

見事に当てこすられて、流石の乱菊も金髪の頭をかく。
「あvそうでしたっけ〜〜。すみませんv」
「出来てねぇなら今すぐやれ。今すぐだぞ。いいな。」
「はあい。
どうも、こう毎日ジメジメした日が続くと、なんか仕事の調子も出ないんですよね〜〜。」
「お前の場合は年中調子が出てねえだろうが。いいから早くやれ。」

観念したのか、素直に自分の机につき、仕事に取り掛かる乱菊。
乱菊は仕事をしながら雑談できるというスキルがある。
書類に取り掛かりながら、尚も日番谷に話を振ってきた。

「やっぱり隊長って、梅雨の時とかは好きなんですか?まあ、冬は当然だとしても。調子良さそうですもんね〜〜。」

氷雪系最強の斬魄刀『氷輪丸』。
水と氷を自在に操り、天候をも変えるというその斬魄刀の持主、日番谷冬獅郎。
無論、周りに水が多ければ多いほど、その破壊力は増していく。
その論理からすれば、攻撃力の増すこの時期は日番谷にとって戦いやすい時期となる。

「雨が降ろうが、止もうが俺の調子は別に変らねえ。

好きか嫌いかで言うなら・・どっちかって言うと嫌いかもな。」

「え?!意外〜〜!」
「いいから、黙って仕事しろ。」

日番谷が会話を閉じる。
後は集中の時間だ。

日番谷は驚くべきスピードで仕事を片付けて行く。
鋭い彼の聴覚は、霧雨の様な雨足さえ捉えていた。

『・・別に雨事自体が嫌いな訳じゃねえ。

・・物がカビて行くのが嫌れえなんだ。』

梅雨は最もカビが繁殖しやすい時期だ。

一見カビとは無関係な物が、日を追うごとにカビていく。
一週間ほど間を開ければ、驚くほどカビに覆われいたと言う事も稀ではない。

知らないうちに増殖していくカビは、日番谷にはこの世界を連想させるものだった。
一見健全に見える組織。
だが、その実態はカビて朽ち果てる寸前だ。

徐々に、しかし確実に進行していく組織の腐敗。
日番谷自身がそれに身を置く者ではあるが、腐敗そのものを受け入れる気は毛頭ない。

・・組織とは人だ。

組織がカビているということは、その人がカビているということでもある。
四十六室。
尸魂界の最高決定機関はその象徴でもあった。

四十六室を構成する賢者たちは、どれも若かりし頃英雄だった者たちばかりだ。
人々の尊敬を集め、そしてその期待に添う才覚と精神力の持ち主だった。

・・そう、過去に於いては。

四十六室に入ったとき、彼等の志は恐らく誰もが高かったに違いない。
それが、いつの間にか保身を覚え、本当に決定すべきものを見失って行く。
年月が経てば経つほど、それは顕著になっていく。

・・まるでカビが菌糸を伸ばし、増殖していくかのように。
英雄の精神と言えどもカビて行くのか。
恐らく自分すら知らぬうちに、そうなっているのだろう。

『・・オヤジになるってえのは、ある意味カビをつけるってことなのかもな・・。』
カビの胞子は恐らくこの世からは無くならないだろう。
それは日番谷がよく知っている。
大事なのは、心のカビを最小限でとどめ、繁殖させないことなのだ。


日番谷の身体的成長スピードは他者と比べて格段に遅い。
まるで、大人になるのを肉体が躊躇っているかのように。
『俺自身はそんなつもりは無えんだが。』

だが、<大人>の定義が心にカビをつけることだというのなら、日番谷はこのままでいいとさえ思っている。
心の腐敗など、日番谷の矜持が許さない。

「あ、隊長。お茶でも淹れましょうか?」
乱菊に言われ、「ああ、頼む。」と答える。
「あったかいお茶でいいですよね?ってあったかいのしか無いんですけど。」

茶筒を握った乱菊に、日番谷が珍しく注文をつけた。
「いや、俺は冷たい茶にする。一番でかい湯呑に濃いやつを少しだけ入れてくれ。茶は湯呑の四分の一くらいでいい。」
「え?だってそれでもあったかお茶ですよ。」
「氷入れればいいだろうが。」
「氷なんてありませんけど。・・・あ!」

意図が伝わったのか、乱菊が日番谷の言った通りの茶を淹れてきた。
大きな茶碗に、いかにも濃く入れられた緑の茶が少し。湯気を立てている。

日番谷がその湯呑の上に手をかざす。
静かに放たれる霊圧。

『・・・氷にカビは生えねえだろ?
だったら、俺もそうするまでだ。』


カラン・・ポシャ・・ポシャ・・・。

湯呑に氷が落ちる音が、隊首室に木霊した。


窓格子の外は、今も雨が降り続いている。




『・・カビんなよ?
何も俺みてえに氷になる必要なんてねえ。

とどまるな。走れ。

風を切って走る奴には・・カビなんて生えやしねえ。

この世界が腐ってようがなんだろうが・・お前がそれに付きやってやる必要なんてねえだろ?』





なんちゃって。

 

 

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