善形(藍染惣右介)
『・・・究極の善を識る者は、同時に究極の悪を識る者である・・・』
人類という魂魄が持つ最も顕著な美点を、私はこう考えている。
文字を書くということだ。
人類はこの文字を自由に扱う事により、文化、教養、学問全てを飛躍的に発達させ、現在の繁栄を築くこととなった。
それまでの文化は口伝により伝えられてきたものだ。
知る者の生存のみに委ねられてきた数々の知識は、これにより飛躍的に正確に、そして多くのものへと広まることになった。
書物。
人類の足跡がそこにはある。
私は幼い頃から読書が好きだった。
『知りたい』
この要求は恐らく誰にも負けないものがあるだろう。
歴史、科学、文学。
あらゆる人類が到達した知の領域に触れたかった。
そして、その中には善と悪の概念というものが存在した。
善と悪の概念は、地域、宗教によって大きく違う。
そして、それは時代とともに移りゆく流動的な存在だ。
人類における、最も顕著な悪とは殺人だろう。
誰もが悪だと言い、批難する所業だ。
よって、どの国家もこれに対して最も重い刑を処している。これは善であると言われているはずだ。
死刑。それが最たるものだ。
国家によって、罪人の命を奪うというものだ。
同じ命を奪うという行為が一方では悪として、そしてまた一方では善として扱われる。
現世では近年、その死刑が今度は悪ではないかと議論があるのだという。
終身刑を最高刑にすべきという考え方だ。
・・なるほど、確かに人の命を奪わないという点では本来の善に近いと言えるだろうね。
・・で?その囚人が死ぬまでかかる経費は一体誰が払うのかな?
絶対的な終身刑が科せられるような罪を犯す者は、体が利く世代だ。
死ぬまでには何十年もの時がかかる。
そして、毎年間違いなく罪人は増えて行く。
膨らみ続ける諸経費。
その経費は税金で賄われている。
・・・財政が豊かな国ならではの発想だ。
国民が貧困にあえぐような国ではまず考えられないことだ。
そんな事をすれば、罪人に喰わせる食料を国民に回せ、と非難に晒されるだろうからね。
さっさと死刑にしてしまった方が簡単だ。
・・所詮、善などというものは、存続維持できる程度でしか守られないものだ。
では、何故人は善を望む?
不確かな安定が、永遠であると思いたいからだ。
人から与えられる好意が、そして自らも与える好意が、永遠であると思いたいからだ。
自分が善人でも無いくせに、他人には善人たることを求めてはいないかい?
・・・いいだろう。
君たちが望むなら、私はそれに応えよう。
君たちの望む”善人”として。
不安だと言うなら、優しい言葉をかけてあげよう。
素直に甘えられないと言うなら、素直になれるようにしてあげよう。
ただ寄り添って欲しいのか、それとも抱き寄せてほしいのか・・。
君たちを見れば解るからね。
君たちは”善人”たる私を見て、心の平安を得ていればいい。
・・・私の準備が整うその時まで。
それは強さの限界の、その先に旅立つ時。
究極の知への旅立ちの時だ。
その時が来れば、私は一切のものから飛び立つことになるだろう。
・・知ってるかい?
芝居では、悪人に扮する役を悪形と言うそうだよ?
・・ならば、善人に扮する善形というのもあって良いとは思わないかい?
『・・・究極の善を識る者は、同時に究極の悪を識る者である・・・
・・・善人を人々は待ち望み・・・
・・・悪人は善の形をとる。』
なんちゃって。