獣の牙軋(藍染惣右介)

・・・想像してみてくれないか?
君の前に一頭の野生の獣が居る。
しなやかで強靭な肉体の獣だ。誇り高き彼は、容易に君の事を自らの主だとは認めないだろう。

・・聞こえるだろう?彼の威嚇の唸り声が。・・・聞こえるだろう?彼の牙が軋る音が。
彼の牙と爪は隙あらば、君の喉元さえも狙っている。

野生の獣とはいえ、飼うには躾ることが必要だ。その手間を惜しむならば、獣を飼う資格は無い。

・・・さあ、君ならどう躾ける?
その牙と爪を取り払い、ただの愛玩動物にするかい?安全に彼に触れたいならそうすべきだろう。
だが・・・私は彼にそんな事はしない。檻にいれることも、鎖で繋ぐことも。
無論いけないことをした時は、しかる事は重要だがね。

・・・・飼いならされた獣ではなく野生の獣だからこそ、私が飼う価値がある。



・・・グリムジョー・ジャガージャック。


「・・名を教えてくれるかな?新たなる同胞よ。」
彼との会話は、この言葉で始まった。正確に言えば、破面としての彼なのだが。

破面たちは誕生する際、赤子の様に裸身で誕生する。
破面の証である、仮面の欠片のみを身につけて。
破面の男性形の中で、彼ほど美しい肉体を持って生まれた者は無い。

極限まで鍛えられた肉体とは、正しく彼の事だとは思わないか?
芸術家を自負する者ならば、彼をモチーフにしたいと誰もが思うだろうね。
極限にある者こそが持つ肉体の美しさが彼にはある。
だが・・・私にとってもっとも印象深かったのは・・・彼の眼だ。

生まれ出た時の膝をついた姿勢で私を睨みあげてくる。だが、私の問いには答えない。

「どうした?口が聞けないわけじゃないだろう?・・・それとも恥ずかしいのかな?」
少しからかう様に言うと、直ぐに挑発に乗ってきた。
その場ですくと立ち上がる。無論裸身を隠す様なことはしない。そして、私を睨みつけながら名乗った。
「グリムジョー・ジャガージャック」
およそ敬意を感じない、それどころか、挑発的とも取れる態度。
品格という点では欠けるが、それは彼の個性だろう。
・・面白い存在だ。

「ようこそ、グリムジョー。」私はいつもより口角が上がるのを自覚した。

破面たちは皆私によって生み出されたものだ。
通常ならば、云わば親である私に、少なからずの思慕にも似た尊敬を抱くものだ。

彼の瞳にもそれが無いとは言わない。しかし、それ以上に表れているのは、私への激しい警戒心だった。

そうだね・・私は彼にとって、親というよりは無理やり飼い主になった存在といった様だった。

彼は、名にジャガーの名が含まれる通り、野生のネコ科の様じゃないか。
警戒心が強く、攻撃的。

彼の魅力は、彼自身が誇っているだろう美しい肉体もあるだろうが、私がやはり気に入っているのは彼の眼だ。
彼の攻撃性を帯びた中に、隠しきれぬ寂しさの光を宿した眼をしているとは思わないかい?

彼は私を一応主だという認識は持っている。
だが、完全に私に自分を預けているわけではない。
常に一定の距離を保ち、心のどこかで警戒している。
それと同時に、私が優しい飼い主であることを期待している。

彼は野生の獣だ。

そして、野生であることに誇りを持っている。
自分は他の十刃のように、私に飼われているペットとは違うと自負している筈だ。
だから、その野生の証しを立てようと、独断で動きもする。
当然、罰を受けることは承知の上でだ。
だが彼は自分のアイデンティティーを示すためなら、罰を受けることは厭わないだろう。


・・だが、真の意味で私の怒りを買う事は恐れている。

飼いならされるのはご免だが、飼い主に真に嫌われたくはない。
だが、追従するのは彼のプライドが許さない。
かと言って他のペットに飼い主の目が行くのは許せない。

彼の中の自己矛盾は彼の行動の全てに影響している。
滑稽な程だ。

・・さて、たまには遊んでやることも必要だ。
それも飼い主の務めだろう?


私は、グリムジョーを研究塔の広間に呼んだ。
袴の脇に手をつっこんで歩くのは彼の習性だ。普段はしゃんと伸びている背だが、歩く時には少し前屈みになる。
・・・現世の不良のようじゃないか。クスリと笑う私を、彼は敏感に悟ったようだ。
眉根が益々寄せられている。

「何か用ですか?」
「君に、十刃に許されている技について話しておきたくてね。」
「新しい技?」
「だが、その前に君の帰刃した姿を見てみたいんだが・・。いいかな?」
「帰刃ですか?」
「正確に言えば、帰刃した時の戦闘能力なんだが。
しかし、帰刃時の状態を見れば、戦闘をしなくても実力は分かるからね。」
「断ります。」

・・・出たね?彼のアイデンティティーの表現が。
「・・何故かな?」
「帰刃は戦うためにするもんだと俺は思ってます。戦いもしねえのに、帰刃なんて出来ません。」
「・・・なるほど。
ならば、私に向かってくるといい。」

これには流石に彼も驚いたようだ。だが、直ぐに挑むように挑発してきた。
「いいんですか?飼いネコに手を引っ掻かれるのとは違うんですよ?」
挑発してくるときの彼は、実に楽しそうだ。
見えないかい?彼の生命力のオーラを。

「どうかな。・・やってごらん?」
途端に眼の色が変わった。
実に嬉しそうじゃないか。戦いが好きでたまらないんだね。

「軋れ、豹王!!!」

帰刃した彼は、まさしく野生の獣だった。
豹か・・。なるほど彼らしい。
ネコ科の動物で最も俊敏さと強靭な肉体を持つものは、豹だ。

その瞬間、獲物に飛びつく獣の如く私に突進してきた。
必殺の右手が私を貫きにかかるのが分かる。
私は避けない。
何故かって?

・・・避ける必要が無いからだよ。

ガッ!!!!という音が聞こえた。
眼を下に向けると、心臓を狙って、グリムジョーが鋭い爪を繰り出していたのが分かった。
・・困った子だ。少しは遠慮という物を知らないのかな?

だその爪は私の衣服の上で止まっている。その瞬間、グリムジョーの指先から血が滴り落ちていった。
「・・なん・・だと?!」
グリムジョーは何が起こったのかわからないようだ。
だが、どうしても私の体を貫くどころか、触れることもないまま拳は止まってしまっている。
「くそ!」
彼が次の行動に移る前に、私は彼に忠告した。
「虚閃を撃つのは止めなさい。君の手が傷つくだけだ。

どうしてもというなら止めはしない。だが、腕が使えなくなったら十刃は降りてもらうよ?グリムジョー。」
「!!!」

訳がわからないと言ったようだった。
「何をしたんですか・・!」
まさしく「爪も立てられない」状況に、グリムジョーが憤っている。
「何も。私は何もしていないよ。
ただ。私の普段の霊圧が、帰刃状態になった君より強いだけの事だ。実に簡単な話だろう?」
「な・・!」

驚くグリムジョーの眉間を今度はこちらが、指先でトンと叩く。
すると、まるで糸の切れたマリオネットのように彼は両膝をついた。顔を上げているのがやっとといったところか。

「心配することはない。少し体の自由を奪っただけだ。直ぐに戻るよ。
君と少し落ちついて話がしたくてね。

実は要から、随分苦情が来ていてね。
君の上官である彼に対する態度が悪いんだそうだ。」

すると、彼もまた如何にも嫌そうな顔をして、吐き捨てるように言った。
「俺はあいつの下についた覚えはありません。
だから、あいつの言う事は聞くつもりは無い。」
「なるほど。
で?私の言う事は聞いてくれるのかな?」

すると、彼は逡巡の表情を浮かべた。そして、下を向いて言う。
「・・分かりません。」
・・彼らしい返事だ。
「君は君の判断で、私の為になると思ったことをする。
・・そういうことかな?」
「・・はい。」

「要は職務上、君たちの行動に規制を加えたがっている事は知っている。
だが、私は君たちには出来る限りの行動の自由を与えてやりたいと思っている。

・・無論・・君にもだ。グリムジョー。

だが、何をしても許されるわけではない。・・解るね?」

「・・はい。」


「さて。今日の本題に入ろう。
王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)」についてだ。
これは、発動に君自身の血を必要とするんだが・・・その様子ではもう試したようだね。」
「はい。」
「出来なかっただろう?」
「・・・そうです。」

「王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)は、十刃だけの特権だからね。
見よう見まねでやっても出来ない。
私の許可を与えられなければ、発動はしないんだ。帰刃状態になった真の姿の脳に私が許可命令を出さない限り、どんなことをしても発動することは無い。」

「・・・。」
「先に言っていれば、素直に帰刃したのに・・といったところだろうね。」
「・・別に。」

俯いてしまった彼の顎に、親指をかけて視線を合わせる。
ふいと向こうが視線を逸らす。
へそを曲げてしまったようだ。

「・・すまなかったね。」
優しく言ってやると、驚いたようにこちらに目を向ける。
まさか、私が詫びるとは思わなかったようだ。

「・・・君の戦う姿が見たくてね。少し意地悪をしてしまった。
君の言うように、帰刃は本来戦いの為にあるものだ。

それに・・・戦う君の姿は美しい。君の肉体は戦う為に存在すると言っていいだろう。」

褒めてやると照れくさいのか、また視線がずれてしまった。彼は褒められることに慣れていない。だから、褒められるとどうしていいか分からないようだ。

・・・実に可愛いものじゃないか。

親指を顎に添えたまま、すいと喉元を人差し指で撫で上げてやる。
すると、彼の耳がピクッと動いた。

「今日から君は最大の虚閃を放つ事が出来る。強力だが、使い方はそれなりに難しいものだ。
注意して使いなさい。

今日は、帰刃した君を見れて楽しかったよ。・・・特にこの耳が可愛いものだ。」
「!!!」
顎を捉える反対の手で彼の猫耳をフイと撫でると、イヤがるように彼の耳がパタパタ動いた。
・・・本当にネコ科の動物のようだね。

さて、少し遊びが過ぎたようだ。彼を解放してあげなければね。
こちらも手を放してやる。すると、ホッとしたように息をつくのが分かった。
そう言えば、触れられることにも慣れていなかったね。
以前、私がNo.6の数字を背中に入れた時も、見事な背筋が痙攣していたかな。

つい思い出して、クスリと笑う。
すると途端に、ギッとこちらを睨んできた。

「さて。もう、体の痺れが取れる頃だ。どうかな?」
手を動かして確認している。本当は、2,3歩飛び退きたいところだろう。流石にそれは彼の矜持が許さないか。

「もういいようだね。では、私は先に失礼する。」
彼を置いて立ち去る。無論、背後には激しい殺気だ。

「・・ああ・・それから・・・。」
歩みを止める。後ろは振り返らない。何を彼がしようとしているかなど、お見通しだ。
「王虚の閃光の試し撃ちなら、宮の外でやりなさい。後片付けが大変だろう?」
「・・・・・!」

「それに残念ながら私には効かなくてね。
・・忘れたのかい?王虚の閃光は・・『私が授けた』技だからね。だが、研究熱心なのはいい事だ。・・・・頑張るといい。」

再び歩み始めた背後からは・・確かに獣の牙を軋る音がした。

・・それでいい、グリムジョー。


君はそれだからこそ、価値があるというものだ。




なんちゃって。

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