「握りし手を・・・放つ時」
『市丸隊長・・貴方は・・僕が暗闇に動けずにいる時・・必ず手を差し出して下さいましたね・・。
・・・何も言わず・・・
・・・でも貴方は僕が欲しているものを必ず与えてくださいました。
・・・そして・・・僕は・・
・・・まるで赤子のように貴方の手を握っていました・・。
・・・何処へ行けばいいのか・・。
・・・何をすればいいのか・・。
貴方の手は僕の道しるべでした・・・。
かけがえのない・・・道しるべでした。』
ある春のことだった。
ギンとイヅルは所用にて出先から隊に戻るため、川沿いの道筋を歩いていた。
薄紅色の花をつけた見事な桜並木が広がる。
満開だ。
「綺麗ですね。丁度満開だ。いい時にここを通れました。」
「そうやねえ。今が一番ええときやねえ。桜の」
「そうですか?散り際がいいという人もいますが。」
「散るところや見とないわ。辛気臭いやろ?」
「そう・・・ですか?」
散る時が嫌いと言いつつ、ギンも頭上の桜を立ち止まって眺めている。
「『花な散りそね』・・やなあ。」
ポツリとギンがひとり言を言う。
短歌などの世界においては「花」は桜の花をさす。
ギンから文学的な表現の言葉が出ることは珍しかった。
「ずいぶんと風流ですね。」
「ヘンかな。」
「いいえ。感心しただけです。
桜が何故花の中でも特に大切にされているのか、なんだか分かる気がしますね。
なんだか・・圧倒されるようです。」
「大事なもんか。でも散ってしまうんやで?すぐに。」
「散ってしまうからこそ大事なのかもしれませんよ?」
「・・・ボクはイヤやなあ。大事なもんが無いなってしまうやなんて。」
「市丸隊長なら大事なものを無くすだなんてことありえませんよ。」
「それは・・・どうかなあ。
・・なあ・・イヅル。
自分が持っといたら壊れてしまうと分かってて、キミはそれでも大事なもんて持っておける?」
唐突な質問だった。
大体『自分が持っていれば壊れる』と断定してしまっているところからして答えにくい質問だ。
「そんなものありえるものでしょうか・・。
持っていると壊れると必ずしも断定できませんし・・・。
答えにくいですね。」
「・・・やろな。」
「でも・・・大事にされているものが、その人の元にあることを望むのであれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
・・・僕はそう思いますが。」
「キミならそう思うか?」
「はい。」
答えるイヅルに迷いは無い。しかしそんなイヅルを見て何故かギンは苦笑した。
「そうか・・・。」
そして一つため息をつき・・いつものギンに戻った。
「さ、桜も眺めたし、隊に戻ろか。」
「はい。市丸隊長。」
連れ立ってまた歩き始める。
「たまには手でもつないでみる?」
いつもの軽口だ。
「冗談はよしてください。」
返すイヅルもいつものことだ。
「なんや、冷たいなあ。」
手をつないで歩くことはあっさり拒否したイヅルだが、その同じ手を誰よりも心の支えにしている。
そしてそんな自分をちゃんと自覚していた。
自分が欲する限りギンは手を差し伸べてくれる。
・・・そう思っていた。
・・だが・・・その手はある日離れてしまった。
・・イヅルにとって最悪な状況で。
イヅルの信じていたギンは、イヅルを利用し、そしてイヅルの信頼をこれ以上もないくらい打ち砕いて去って行った。
イヅルに何も告げずに。
イヅルはギンの考えていることが分からなかった。
確かにギンは分かりにくいところがある。
だがイヅルはイヅルなりにギンの事を理解し、そして信頼を得ていたはずだった。
ネガシオンの光に包まれ、ホロウの世界へ旅立つギンは全く後ろを振り返らなかった。
『でも・・・大事にされているものが、その人の元にあることを望むのであれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
・・・僕はそう思いますが。』
桜の下で、言ったイヅルの言葉が頭をよぎる。
あの言葉でギンはイヅルを自分と供に連れて行かないことを決意した。
あの時ギンは迷っていた。
イヅルを連れて行くかどうかを。
全てを裏切ってホロウの世界に渡ることなど、あの繊細なイヅルに耐えられるとは考えられなかった。
・・だが傍においておきたい。
そんな葛藤がイヅルへの質問となり出てしまっていた。
イヅルの目は自らが壊れてもついて行くことを現していた。
『・・ゴメンな、イヅル・・・。
キミは連れていけへんのや・・・。
キミはボクのために何時でも壊れる覚悟やろ?
・・・だから連れていけへん・・・。
・・・大事なもんが壊れるのは・・・
・・・もう見とうない。
ボクは大事やと思たもんを壊してしまう。
・・・そういう運命なんや。
・・・だから・・・放したげる。
イヅルはそっちで幸せになり。ボクのことは・・・
・・・はよ忘れるんやで?』
ギンはイヅルの手を放すことを決意した時から、イヅルの信頼を裏切る最悪の状況で去ることを計画した。
・・・そして、それは実行された。
・・・放された手。
その意味をイヅルはまだ知らない。
なんちゃって。