桜の恋、月下に咲く(朽木白哉)

冷たい風に黄色い木の葉が舞うようになる頃。

月夜の田園からだった。・・・桜の恋が始まったのは。


朽木白哉。
正一位の称号を持つ四大貴族、朽木家の次期当主だ。
現在の当主は27代目。
彼はこの世に生を受けたときから、次期28代目当主になるために英才教育を施されてきた。
帝王学にはじまる学問一般は当然のこととして、斬拳走鬼に至るまで、
彼が物心がつく以前から超一流の師がついていた。

彼はそのあらゆる方面で天賦の才を見せ、歴代最強の当主になる
ことはもはや誰の疑いも無い。

圧倒的な才能と、氷のごとく冷徹な君主としての判断能力、
そして美しさ。

『朽木家が生んだ最高傑作。』

現27代目も、既に自分の職務の多くの部分を白哉に任せるように
なっていた。

その中のひとつに、地方の領地の管理というのもある。
これは、早めに地方にある領地の把握をさせるという、
先代の狙いでもあった。

そして、ある地方の農園を白哉は訪れた。
その農園は朽木家が所有する中でも大きな部類に入る。
時は晩秋。
目的は、各作物の収穫量の把握と農園の経営状態の把握。
及び周辺農場の視察。

1週間ほど、そこに泊ることになっていた。


白哉は夜の散歩を密かな趣味としている。

昼間は、彼が動くだけで、周りの者が右往左往するからだ。
出会うもの全てが、萎縮した様子で畏まる。
最早慣れてはいるが、見ていて気持ちのいいものではない。

その点、夜は誰にも会わない。
静寂の中を自由に歩くことが出来る。

日中何かと束縛されることの多い彼が、唯一自由に行動できる
貴重な時間だった。

その日は下弦の月。
月明かりは十分とは言えないが、白哉にとっては歩くには
何の支障も無い。
音もなく農園の小道を歩いていく。
空気は冷たい。
生き残った虫が弱々しく鳴いているのが聞こえる。
僅かに吹く風に、ススキがかすかに音を立てる。

・・・・静かだった。
刈り終った田畑の幻想的な風景。
心を動かされにくい白哉さえも、暫し見入ることとなる。


その時だ。
かすかな霊圧を感じたのは。

直ぐに探知能力のレベルを上げる。
霊圧を感じたのはススキの茂る小道の先だ。

そして・・・奇跡は始まった。


・・・霊圧を探りながら歩いてみると、そこには娘が倒れていた。
この農園の者ではない。
なぜなら私は農園全ての者を把握しているからだ。

気を失っているようだった。
ここへ迷い込んだか・・。
いったん屋敷に戻り、屋敷の者に手当てさせよう。そう思ったときだ。

「・・・ごめんね・・・。」
娘が呟いた。意識が戻ったわけではない。
荒い息から、かなり発熱しているようだった。

『・・・仕方あるまい。』
部外者とは言え、私の領地内で見過ごすわけにはいかぬ。
そのまま連れ帰った。

「まあ!!白哉さま!!一体その娘は?」
「農園に倒れていた。熱がある。介抱せよ。」
「しかし、何処の馬の骨ともいえぬ者を、この農園に
入れるわけには・・」
「介抱せよといったはずだ。・・・同じことを何度も言わせるな。」
「は、はい!!畏まりました!!だ、だれぞ早く寝所を用意せよ!」

翌朝。農園の責任者より、娘の容態を聞く。
栄養不足と極度の疲労が原因だという。
暫く養生が必要とのことだった。

2日後、起き上がれるようになったというので、娘に会う。
名は緋真といった。
何処から来たのか問うと、悲しげな顔をして黙ってしまった。
やはり農園には迷い込んだようだ。
行く当てがないというので、農園で働かせることにした。
農業には人手はいくらあってもいい。
問題を起こすようなら、放り出せば良いと思っていた。

他の農園の視察から帰ってみると、緋真が何かをいかにも
美味そうに食していた。
見ると蒸かした芋だ。特にどうといったものではない。
しかしながら、緋真の顔には幸せが前面に浮かんでいた。

たかが芋で人は幸せになれるものか?
私は少しばかり驚きを感じた。

それだけではない。見れば何をやらせても楽しそうだった。
もともと大人しそうな様子ではあるが、農園の責任者も、
何を言いつけても一生懸命にそして嫌がらずにこなしていると
驚いている。
問題はなさそうだ。そして私も、農園を後にした。

そして年が明け、早春の頃。
またこの農園を訪れた。
緋真は見違えるように元気になっているようだった。
責任者より、働きぶりも上々とのことで役には立っているらしい。

そして、その夜。
霜の降りる月夜の下で、緋真を見かけた。
昼間見る柔らかな笑顔は無い。
ある方向を見つめて、一心に何かを祈っているようだった。

声は私もかけぬ。
・・・いや・・・かけてはならぬ気がした。

翌日。昨夜のことなど、なかったかのように働く緋真。
「仕事は・・どうだ。」
「はい。皆さん優しくしてくださいます。ここにおいて頂けて、
本当もったいないくらいに幸せでございます。有難うございました。」
その顔に嘘はない。
頬に僅かに赤みを見せつつ、相も変らぬ柔らかな笑みをしている。
夜見た何かを真剣に祈る緋真と、昼間の幸せをかみ締める
かのように働く緋真。

・ ・・・不思議と私の心に留まっていた。

それ以来だ。・・・不思議と緋真に目が行くようになったのは。
草餅の葉を食せるかどうか悩んでいたり、農園にいる猫と
戯れていたり。
私から見ると実に些細なことで、緋真は幸せそうな顔をしていた。
その顔を見ると・・・不思議と私まで、つられて幸せという
ものを味わうような気がした。

・・・何時からか・・・その顔を見るのを楽しみにしていた。

だが・・・・私は知っている。
・・・緋真が、毎夜一人で祈っていることを。

ある日のことだ。私は緋真が農園の男に言い寄られて
いるのを見た。
家畜担当の、前から女関係であまりよくない素行を報告
されている男だ。
緋真はいかにも困っているように見えた。
男の手が緋真の方に手をかけたのを見て、私は普段抑えている
霊圧を少しばかり開放した。
全部開放してしまうと、いくら素行の悪い者とは言え、
殺しかねないからだ。
私の霊圧により、苦悶の表情を浮かべながら、地面を転げ回る男。
「私の領地内で、非道は許さぬ。・・・よいな。」
聞こえているかは分からぬが、がくがくと首を振るのを見て、
ようやく霊圧の拘束を解いてやる。

「あ、あの。ありがとうございます。」
礼を言う緋真。
私はうなずくだけでその場を後にした。

・・・助けるつもりなど、なかったのだ。
誰と誰がどうなろうとも、それは本人たちの
自由であり、私の関知するところではない。
それにもかかわらず、助けてしまうとは・・・。

・・・しかしそれだけでは終わらなかった。

あの下らぬ男は、緋真が私をたぶらかしていると大声で触れ回る
ようになっていた。
その証拠に、私自身が緋真を助けた、と。

すぐに農園の責任者が、その真を問いに来る。
「・・・くだらぬ。主人が使用人の非行を正すは当然の責務だ。」
責任者はとりあえずは納得したようだが、噂はなかなか
収まらなかった。

緋真は私の目の届く範囲からは完全に離されるようになっていた。
朽木家の次期当主たる者に余計な噂の種になるような者は
近づけられぬということであろう。

そして・・・。
月夜に照らされた緋真の姿を見る。
その日は祈るというよりも、何か考え込んでいるようだった。

「・・・何を考えている?」
気配を感じさせなかった私を見て、緋真は飛び上がらん
ばかりに驚いていた。
「白哉さま・・・!!どうしてここに・・?」
私はそれには答えず、質問を続けた。
「・・・噂のことか。」
「・・・。・・・緋真は・・・幸せすぎたのかもしれません・・。
人それぞれ、その人にあった幸せというものがあります。
私は・・白哉様に命を助けていただいてから、身に余る幸せを
いただいております。
・ ・・・その罰なのだと思います。」
「普通に働く生活を送ることが、罰を受けるほどの
幸せになるとは思えぬが。」
「いいえ・・。私は・・・罪深い者なのでございます・・・。
幸せになることなど・・本当は・・・許されぬくらいに・・・。」
胸の苦しみを表すかのように、胸に手を当てる緋真・・・。
「何があった。」
私に対して何かを言いかけるも・・・緋真はそれ以上は
語らなかった。
「申し訳ありません・・・。今は・・今はとても・・・。」
「・・・そうか。」
「・・申し訳・・・ありません・・・。」
それからの会話は無い。
ただ・・・月夜のに照らされた稲穂の茂る田園を、暫し二人で
眺めていた。
緋真が少し落ち着くまで・・・なぜか傍にいたかった。
月夜の緋真は何故か儚く見える。
そう・・消えてしまわぬかと危惧してしまうほどに・・。

それから、何度かこの農園を所要で昼間訪れるも、緋真の姿は
見れなかった。
・・・何故か不快だった。
幸せそうな顔で緋真が働く姿を、見ることが出来なかったためだ
と知ったのはずいぶん後のことだった。

いつからか、無意識に農場へ来るたびに、目で探すように
なっていたのだ。

緋真を見かけなくなって、2か月・・出会って1年が来ようとしていた。
農園に泊りがけでの視察の時だ。
「・・・緋真は今どうしている?」
聞かれた農園の責任者の肩がビクリとするのを見逃すほど、私は
甘くは無い。
「は、はい?」
「どうしたのかと聞いている。」
「は、元気にしておりますが。」
「だが、姿が見えぬが。」
「奥の用をさせておりますので、白哉さまのお目にたまたま
かからぬのだと思われます。
・ ・・何か?」
「連れてこい。」
「な、なんですと?!」
「顔を見るだけだ。邪推はいらぬ。連れてこい。」

責任者に目を合わせる。逆らうことはこの私が許さぬ。
途端に、責任者が僅かに震えだすのが分かる。
「か、かしこまりました!!誰ぞ!誰ぞ!緋真を呼んで参れ!!」

そうして、2か月ぶりに緋真の顔を見た。
少し痩せたような気がした。
だが、私を見る表情は変わらない。
それを見てようやく私は心が穏やかになるのを感じた。

そうだ。緋真のこの顔が見たかったのだ。

「・・・元気か?」
「・・・はい・・。」

かけた言葉はそれだけだ。
下がってよいと責任者に合図する。

そして・・事態が急変したのは・・その夜のことだった。

その夜は満月。
私は・・・僅かな荷物を抱えた緋真が、農場を去ろうとして
いたのを発見することになる。

「・・・何処に行くつもりだ、緋真。」

後ろから声をかけられ、信じられないように振り返る緋真。
私の姿を見るや、駆け出した。
腕を掴んで制止させる。

「どうか・・お手をお放し下さいませ!!緋真は・・緋真は
ここにいてはならぬのでございます・・・!!」
「何故だ。」
「私は・・・幸せすぎたのでございます!!私のような罪深い
者が幸せでいることなど・・やはり・・・許されることではない
のでございます!!」
「・・・以前もそのように言っていたな・・・何があった。」

言わぬと私が手を離すことは無いと、観念したのか・・・
緋真はようやく、とつとつと、自らの過去を話しはじめた。
戌吊出身であること。幼い妹がいたこと。しかしながら、
生活苦に耐えかねて、妹を置いたまま逃げてきたこと。
そして、放浪の末、ここにたどり着いたこと。

「妹を見捨てたこの私が・・・幸せでいることなど・・・
許される・・・はずが・・ないのでございます・・。」
堰を切ったように、涙を流す緋真。
・ ・そうか。お前はそれをずっと悔いていたのか。
・ ・それで毎夜戌吊の方向に向かって祈っていたのか。

犬吊の環境の苛酷さは話に聞いている。
確かに幼い妹をつれた娘が生き残ることは出来まい。

何をやらせても幸せそうだった緋真。
心の中ではいつも罪悪の念に苛まれてきたのだ。

だが・・・このまま行かせれば、二度と緋真を見ることは
出来ぬであろう・・・。

「出て行くことは許さぬ。」
「白哉様・・・後生でございます。どうか・・このまま行かせて
下さいませ。」
「ならぬ。・・・・なぜなら・・・お前の笑顔が見えぬと、
何故か私の心が騒ぐからだ。」
・・なぜこのようなことを言ってしまったのか・・。
驚きに目を見張る緋真。
「ここから出て行くことは許さぬ。
・・・今からでも遅くは無い。戌吊で妹を探し出し、
姉妹でここで暮らせばよい。」
「白哉様・・・!!」
「よいな・・・。ここから出て行くことは私が許さぬ。」
「有難う・・ございます・・!!」

農園から出て行かぬことを、約束させた私は、人知れず安堵した。
その時の気持ちが何だったのか、私は表現する術をまだ持ってはいなかった。

ただ・・・緋真を傍に置いておきたかった。

そのときは・・ただ・・。

欠けることなき月の光が二人を照らす。
冷え込む夜の清冽なる中で、僅かに触れ合う二人の手のみが
暖かさを放っていた。

なんちゃって。

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