産婦人科医、浦原喜助

・・・産婦人科。


通院経験の無い若い世代であれば、妊婦が通う診療科と考えがちだが、実はそうではない。
妊婦はもとより、月経不順や閉経後の更年期障害の相談および治療など、女性特有の体調異常の相談を受け付けるのも産婦人科の役割でもある。

そして、またもうひとつの重要な役割をも担っている。

それは・・・「不妊治療」だ。

女性の出産の高齢化もあってか、子供がほしいと思っている女性で妊娠しにくいとの悩みをもつ夫婦は多い。
昨今では、医療技術の進歩もあり、ホルモンの注射から体外受精までと幅広い治療の幅は広がった。


しかし、忘れてはならないのは・・・子供を授かるためには、女性患者だけではなく、パートナーである男性側の協力が不可欠であるということだ。


・・・巨大基幹病院BLEACH。

ここに一人の不妊治療の権威がいる。
本人は権威と呼ばれていることに、おそらく抵抗感があるだろう。
別段学会の重鎮になるつもりなど、全く無いようだが、この男が論文を出せば、その画期的な内容に学会に旋風が吹き荒れることとなる。

とにかく斬新な考え方と技術で同業者からも畏れられる男だった。

そして、実際・・・彼が担当した不妊治療に訪れた患者に対する妊娠率の高さは・・・驚異的なものだった。
それゆえ、同業者は彼を嫉妬と羨望と兼ねてこう揶揄する。

「孕ませ屋、浦原」と。



一人の患者が、浦原の診察室に通された。
まだ若い。22,3といったところだろうか。
その患者は、自分の不妊について悩んでいた。

夫は学者として名高い家系の跡取りだ。
歴史はなんと平安時代から続くらしい。
夫は某国立有名大学の最年少教授として就任したという。
夫の年は38歳。
患者は1年前に、図書館の司書として働いていたところを、夫に見初められて婚姻に至ったようだ・・。

家柄に拘る、夫の母親はかなり患者との結婚を反対したようだが、最後には息子の意見を聞き入れたらしい。
しかし、姑と同居すること。
これが絶対条件となった。

婚姻生活が始まると同時に姑から、跡取りを早く作るようにとのプレッシャーが患者に強く寄せられる。
月日が経つごとに、激しさを増し、その心痛に耐えられなくなり、患者は浦原を頼ってきたというわけである。


「あ・・あの・・・私・・もしかしたら、子供が作れない体なんじゃないかと思って・・。
そうしたら、お義母さまに、なんておっしゃられるか・・。」

不安をもらす、患者。
昨日、分娩に立ち会って当直明けの浦原は、少しひげが伸びたあごを撫でながら聞いている。

「・・なるほどねえ。
ま、見てみますか。検診台に上がられたことはありますか?」
「いいえ・・。」
不安そうな患者。

「最初はちょっとビックリされるかもしれませんが、あくまで診察のためです。

少しおつらい所もあるかもしれませんが、頑張ってくださいね。」

「・・はい。」

数分後、検診台に乗るという屈辱的な体勢にも、耐えながら台に乗る患者。
浦原が見えないように、看護師は毛布で壁を作る。

「はい、じゃ・・力抜いてくださいね〜〜。」
力を抜けといわれて、ハイ、どうぞ、と出来る患者ではない。
看護師の「はい、フーーーって息はいて〜〜。」と明るい言葉でようやく指示に従った。


「・・・はい。分かりました。」
いつもののほほんとした浦原の声。
しかし、毎日浦原と仕事をしている看護士たちは、「何かあったな」と気づいていた。

再び診察室で患者と接する浦原。
「先生・・・どうでしたか?」
必死さが伝わる。
電子カルテに書き込みながら浦原は言う。
「そうっスねえ。特段の異常は見受けられませんでした。
安心してください〜。」

「では・・なぜ、赤ちゃんが出来ないんでしょう・・。」
「それなんですが・・夫婦関係の行為で・・なにか気づいたことはありませんかねえ。」

なんでもない事のように、浦原が切り出した。
「え・・・?」
「いやあ、特に無いっていうんなら、それでいいんですけどね?」
「いえ・・あの・・特に・・ありません。。」

そのままうつむいてしまった。
「ご主人は・・不妊について・・なにか仰います?」
「いいえ・・特には・・。」
「でも、子供は欲しいと思っていらっしゃると思います?」
「それは・・思います。口には出しませんけど。」

「・・そう・・っスか・・。」
不意に安心したように浦原に笑みが浮かぶ。

「・・じゃ、今度はご夫婦で来てくださいませんかねえ。
不妊治療はご主人の協力なくしては出来ないんスよ。」
「え?!主人もですか?!!」
「今では当たり前です。本当に子供が欲しいとご夫婦で考えられているんであれば、ご主人のお力も必要なんです。
アタシがそう言っていたといって下さい。
お子さんを作りたいなら・・是非来てくださいって。」

「・・分かりました。」

そして・・・2週間後。


患者が夫を連れてやって来た。
夫のほうは、いかにも大学教授らしい、仕立てのよいスーツを着ている。
神経質そうな性格が、顔に出ていた。メガネの奥では、「いかにもイヤイヤ来てやった。」という目をしている。

産婦人科の医師が、予想外に男前であることに驚いてもいるようだった。

「いやあ〜!お忙しいところをすみませんねえ〜〜、どうしてもこの手の治療はご主人のほうにも協力していただかないといけませんもので。」
「・・話を聞きに来たんですが。私が聞くべき話とはなんですかな?」
「それなんですが・・ご主人と二人で話をしたいんスけど・・。」
「・・いいだろう・・。お前は外に出ていなさい。」


そして、浦原と夫の2人だけになった。

「で?話とは?」
迷惑そうな夫。
「奥さんを内診させてもらいました。
特に異常はありませんでした。」

「それが、私と2人だけで話したいという内容なのかね?」
苛立ちさえ見えている。
浦原はその夫に最初に爆弾を投下した。

「ここにいらして頂いたということは、あなたも御自分のお子さんが欲しいハズです。
ズバリ申し上げましょう。

お子さんを授かるには主に2つの方法があります。

一つは、体外受精すること。
もう一つは・・アナタにこれから泌尿器科を受診していただくことです。」


「なんだと!!何故私がそんなところを受診しなければならんのだ!!」
予想外の言葉に、夫のほうの声が荒くなる。

「理由は・・・アナタがEDである可能性が高いからです。
アナタの奥さんは、まだ性的な交渉を持っていない体をしています。
つまり、まだちゃんとした夫婦関係が持てていない証拠だ。

アナタの奥さんの証言から、夜を共にしていないという訳ではないということが伺えます。
ということは・・アナタがED・・つまり勃起不全である確率が高くなる。」

「な・・・!!」
「ついでに言えば、アナタの大学教授という知識レベルからして、アナタが子供を作ることが出来るかどうかは・・既にお調べになってらっしゃると思います。

・・・精子に異常はなかったんでしょう?

・・だから、結婚する気になった。

・・・違いますかねえ?」

口調はあくまで穏やかだ。しかし、浦原の目は偽りを許さないという、光が滲んでいた。

「・・・・・。」
言い当てられて、暑くも無いのに汗が額に浮かぶ夫。
観念したのか、漸く頷くことで肯定した。

それで、浦原の目から光が和らぎ、また飄々とした男に戻っていく。
「・・奥さん・・アナタのことにたぶん気づいてますよ?
でも、アナタを責めるような事は何も言いませんでした。

初めての人が、産婦人科の診察台に上るのは、相当勇気がいるもんです。
しかし、アナタとの子供が欲しいからこそ、我慢されたんです。

今度は・・アナタがそれに応えてあげる番だと思うんですけどねえ。」

「・・・妻が処女であるということは伝えたのか?」
「いいえ。まだです。

アナタの対応でお伝えするかどうかを、決めようと思いまして。

問題の先延ばしはダメですヨン?
現に、産婦人科に受診したということは、奥さんは知識を集めだしている証拠だ。
じきに真相にたどり着くでしょう。

アナタのお母さんから責められる原因が・・アナタ自身にあることを知ってしまう前に・・アタシは何とかしたほうが良いと思いますけどねえ。

アナタの奥さんは、アナタのことをちゃんと思ってますヨン。

ただし・・『今現在』の話ですがね・・。」

「・・なんだと?」

「心は変わるもんです。
真相を知り、そしてアナタが何も手立てをしないと知れば・・奥さんも今の気持ちを持ち続けられるかどうかは、誰にも分からない。

おまけに奥さんは若い。そしていまどき珍しい健気さがある。
十分・・他の男を惹きつける魅力をお持ちだ。」

とっさに顔を上げる夫。
浦原が胸のポケットに挿していたボールペンを抜き取る。
そして・・・ゆっくりとノックの部分に歯を立てる。
健康的な白い歯。不精で伸びたに違いないヒゲまでもが違って見えてくる。
なんでもない仕草だが、浦原が急に『男』としての強いオーラを発するのが分かった。
ニヤリと笑う仕草は、明らかに『挑発』だ。

「・・・今すぐ受診する。」
たまらず呟く夫に、また浦原はいつもの浦原に戻る。
「いや〜〜!そうっスか?!!
よかった〜〜!じゃ、奥さんに入ってもらいましょうか〜〜。

あ?奥さん?どうも〜〜、お待たせしてしまいまして、すいません〜〜。
お話は終わりましたので、そうですねえ〜〜、次は1ヵ月後に来てください〜〜〜。

あ・・ご心配でしたら、ご主人もいらしてもいいですヨン?」

最後の口調だけが微妙に変わる。
その意味を知るのは夫だけだ。



そして・・・1年後・・・・。


「オギャ〜〜!!」
分娩室から産声が聞こえる。
一通りの処置を終えられて、手術台に横たわる患者に、夫と見られる男が近寄る。
両手に生まれたばかりの赤ん坊が抱えられているが、危なっかしいことこの上ない。

「母子共に、元気です。よく頑張りましたねえ。
・・・そしてアナタも。」

術衣を来た浦原に、「ありがとうございました。」と頭を下げる夫。



・・・メガネの奥では今日は涙が光っているようだった。



浦原は、受け持った患者の妊娠率の高さから、揶揄されることがある。
「本当は何人かは、お前の子供なんじゃないのか?」

これは、妙に男性としての色気があると、女性職員はもとより患者からも言われるのを、同僚が知っているためだ。
事実、浦原は不妊治療に訪れた患者から、精子提供を求められたことがある。
・・無論、断ったらしいが。

これも、噂となって、その日のうちには病院内を流れている。

そんな時、浦原は澄まして応えるそうな。

「よく分かりましたね〜〜。実は・・ぜ〜〜んぶアタシの子なんですよ。
バレました?」
「お・・お前!まさかマジで・?!!」

「だって、アタシが治療して出来た子供たちっスからねえ〜〜。

・・ま、アタシの子と言っても過言じゃないでしょう〜。」

「なんだ、そんなことか。」

・・・今のところ、認知するように迫ってくる元患者はいないようである。


『子供っていうのは、男女両方いなけりゃ、出来ませんからねえ。
特に、不妊治療に来られるご夫婦は、精神的にある程度疲労していると思っていい。

そこを・・引き上げてあげなきゃ。
また、『子作り』したいと思いたくなるようにねえ・・。

アタシのフェロモンも・・結構使いようでショ?』





なんちゃって。

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