蒼月に呟く(朽木白哉) |
十月。
煌々と照らす月夜の道を、足音も無く進む者がいた。
・・・翻る真白の襟巻。頭には5本の牽星箝、羽織の背には<六>の文字が染め抜かれている。
言うまでもなく、六番隊隊長、朽木白哉である。
屋敷に戻る白哉の伴は誰もいない。
大貴族の当主としては不用心ではあるが、歴代最強を謳われる白哉に危害を加えられる者なと居はしない。
その霊圧だけで、行き交う者たちをひれ伏せさせながら、帰路の道を歩んでいた。
ほどなく屋敷につく。
巨大な屋敷の、これまた巨大な門は静まり返っていた。
その門の前で、白哉が静かに言う。
「・・・私だ。今戻った。」
すると、巨大な門がきしむ音を立てながら、内側に開かれていく。
完全に開かれると、二人の使用人が門の脇から白哉に向って頭を下げた。
「お帰りなさいませ、白哉様。」
ここの使用人たちは、過度な振る舞いをせぬよう、厳しくしつけられている。
白哉が静寂を好むためだ。
会話の声は、相手に届く大きさであればそれで事足りる。
聞こえぬのは問題外だが、過度に大きな声で話す事は、その者の格を下げる行為であると白哉は考えていた。
「うむ。」
言い置いて、玄関へ続く道を進んでいく。
両脇の庭には秋の草花が無造作に見えながらも、完璧な計算によって植えられ、虫の音がちらほらと聞こえていた。
玄関で迎えるのは爺だ。
「おかえりなさいませ、白哉様。
本日も、お疲れ様でございましたでしょう。
先にお食事になさいますか?それとも湯殿を使われますか?」
「何時までも、厨房の者を待たせるわけにも行くまい。
先に夕食とする。」
「かしこまりました。」
大貴族である朽木家。
その当主である白哉を迎える為に、白哉が帰宅するまでは、どんな時間であれ門の内には門を開ける者が待機し、どんな時間であれ、厨房の者たちは何時でも夕食が出せるよう起きている。
職務であるとはいえ、その者たちを白哉がねぎらう様になったのは、当主となってからだ。
着替えを済ませ、食事をとる間へ入ってみると、すでに夕食の膳が出来ていた。
生鮭の西京焼き、柿なます、蕪の煮物など秋の旬らしい料理と・・そして手打ちの蕎麦が並んでいる。
『そういえば・・新蕎麦の時期でもあったか・・。』
新蕎麦ならではの蕎麦本来の香り。
この時期でしか味わえぬ、白哉の好物でもある。
箸を取ろうとして、自分が何かを待っていることに気づく。
『いただきます。白哉兄様。』
夕食の際かけられる、妹ルキアの声だ。
つい最近の事だが、例の旅禍の騒動以降、ルキアと夕食を取ることが多くなっていた。
最初は白哉の思いつきだったのだが、ルキアはそれ以降、自分が先に帰った時ではどんなに腹の音が鳴っていても、白哉の帰りを待って一緒に夕食の膳につくようにしていたようだ。
別段、会話が弾むわけではないのだが、不思議と習慣になっていたようだ。
箸をとり、食事を始める白哉。
あまり箸が進まない。
新蕎麦に箸を進める。
新蕎麦は香りを楽しむために、最初の一箸はそのまま何もつけずに食すのが白哉流だ。
気が乗れば、その後は塩だけで食すこともある。
しかし、今日に限ってはあまり旨いと感じない。
何かが物足りぬのだ。
蕎麦にはちゃんと出汁が添えられている。今度は出汁につけてみるか・・。
そう思い、白哉は七味に手を伸ばした。
白哉は蕎麦などで七味を使う際、出汁にではなく蕎麦そのものに振りかける。
そのほうが均一な味になるからだ。
何回か七味を振り、出汁につけて、すすりこむ。
やはり何かが足りない。
七味が足りぬのであろうか・・。
また七味の入れ物に手を伸ばし、蕎麦に振りかけていく。
その時、白哉の耳だけに聞こえる声が聞こえた。
『・・あの・・兄様・・。
大変差し出がましいのですが・・・七味の使いすぎでは・・。
それでは兄様のお体を壊してしまいます。』
思わず、七味を持つ手が止まる。
それまでは、思う存分真っ赤になるまで七味を使っていた。
そんな白哉に物申す者など誰も居なかった。
しかし、余程見かねたのか、ルキアが苦言を呈したのだ。
それ以降、白哉の使う香辛料の量は激減した。
・・といっても、まだ一般人からすると明らかに多いのだが・・。
そして、また蕎麦を口に運ぶも、箸の動きは遅い。
一度口をつけた物は残してはならぬ。
ようよう、蕎麦を食べた白哉はそのまま箸を置いてしまった。
「今宵はもうよい。下げろ。」
「あまり召しあがっておりませぬが・・どこかお身体でも?」
爺が心配そうに言う。
「大事ない。たまたまだ。
部屋へ戻る。」
そのまま、部屋を出て私室に向かう渡り廊下に出る。
・・・ルキアの声が聞こえた時、一切の食欲が消えうせた。
そのルキアは今、敵の唯中の虚圏に居る。
行かせた事に後悔など、してはおらぬ。
今でも同じ判断をするであろう。
だが・・・満足に食事どころか身を休める時間すらないはずなのだ。
破面共は強い。
恋次が付いているとはいえ、万全とは程遠い。
護廷十三隊においても、表立っては今はまだ見えぬが、隊員たちの来るべき戦いへの動揺は大きい。
それを残った隊長格が平静に抑えている状況だ。
白哉の肩には、今まで以上に見えぬ重みが圧し掛かる。
一護に敗れたことによって一度全て断ち切れたかに思えた様々な鎖は、未だ白哉を繋いでいる。
断ち切れても、また新たに鎖は増えていくものなのだ。
出立前、外套の礼を言いに来たルキアの顔がふと浮かぶ。
『・・まだ、息はあろうが・・・。』
十刃と渡り合えるほどの実力は無い。
・・どこまで、行けるのか・・・。
・・いや・・・・
ふと足が止まる。
天上の蒼き月を仰ぎ見る。
虚圏には尺魂界の月と左右逆の月が天空にある。
相反する世界。
しかし、尺魂界と虚圏が何所かで連なる証でもある。
虚圏にも、今この月と同じ月が逆の方向に見えている筈だ。
ルキアはこの月を見ているのだろうか。
いや・・『見えて』いるのだろうか・・。
行かせた事に悔いなどない。
今でも同じ判断をするであろう。
だが・・・
・・・どこまで、生けるのか・・・。
「・・・ルキア・・・。」
ごく小さな呟きが、蒼き月に向って放たれた。
なんちゃって。