天の玉座(藍染惣右介)
『より高みを目指す』
・・・誰もが思うことだ。
それが・・・実力のある者ならば尚更だろう・・・・。
『強さ』
誰もが求める物。誰もが目指す物。
私は「強さ」とは「学問」だと考えている・・。
我武者羅に強くなろうとあがいてみても、強くはなれない・・・。
全く効果が無いとは言わないよ?
少しはそれで得る物もあるだろう・・。
ただ・・・無駄なだけだ。
中途半端に育った強さはそれ以上の強さを求め、方法が分からず苦悩する・・。
そして、その焦りに自らを滅ぼしていく・・。
私はそれを・・無駄だと評している。
真に強くなりたいならば・・・感情だけではなく・・・頭を使わなければね・・。
斬術、白打、歩法、鬼道・・・。
この限界強度とは何処にあるのか?
魂魄の強度の壁とはどんなものなのか?
己のいる場所は何処なのか・・そして限界までの距離はどれほどのものなのか・・。
そこを知ることによって初めてより強くなる方法が見えるものだ。
・・・精神論ではないのだよ。
強さには常に論理が介在し、その方程式を解けた者のみが真の強さを手に入れる。
普遍だが・・・見逃されやすい真理だ・・。
私は早くから既に、死神の強さとしての限界に達していた。
魂魄という器を持つゆえの限界・・。
なんと不完全な存在なのか・・。
天には神が座すという。
だがそれは違う。
誰も天になどいない。
神が完全と言うならば、なぜこの世には不完全なものばかりなのか。
神が完全と言うならば、その創るものも完全であるはずだ。
この世は不完全なもので満ち溢れ、新たな論理は旧い倫理に縛られる。
「グリムジョー以外が消滅したか・・。」
仮の玉座で私は事態を知っていた。
グリムジョーが飛び出していくことも計算の範囲内だ。
なんとかウルキオラを出し抜いて、私に忠誠心の証を立てようとするグリムジョー。
忠誠心か・・・。
くだらない物だ。
真に優れた者が、劣る者を従えるのは自然の摂理だ。
劣る者は、従うことで自らの安定を図ろうとする。
優れた者のより近くで場所を確保したいが為に、犠牲を払う。
実に自然の法則だ。
だが、それを俗に忠誠心などと表現し、賛美する。
忠誠心を求めることなど意味はない。
もっとも・・・真に優れた者においては・・の話だがね・・。
この世で一番天に近いものは私だろう。
・・・だが、まだだ。
天の玉座はまだ遥か先にある。
・・・それでいい。
簡単に手に入るものなどに興味は無いからね・・。
仮の玉座に座り、ゆっくりと目を瞑る。
高所の玉座などに意味は無い。
ただ視覚的な効果と・・・座る者に疑似体験を与えるだけだ。
進む道は闇の大海。
誰も進んだことの無い道。
だがその先には
一つの玉座が待っている。
天の玉座は今も座る者のないまま、静寂に包まれているはずだ。
・・待っていろ・・。
私が座るその日まで・・。
真の強さは、真に美しい数理の世界に存在する。
後は実証すればいい。
ゆっくりと目を開き、席を立つ。
『鏡花水月』
見えはするものの、絶対手に入れることが出来ぬ物。
だが・・・。
私にとって、天の玉座は、『鏡花水月』ではないよ・・。
必ず手に入れるものだからね・・・。
なんちゃって。