善と悪(藍染惣右介)

・・・善意と悪意という言葉があるのは知ってるね?

「君は善意の人かな?それとも悪意の人かな?」と聞かれれば、普通は「私は悪意の者です。」とは答えないだろう。
善意とは良い心、悪意とは悪い心であると通常は考えられているからね。
「善意の寄付」といった言葉に象徴されるように、善意とは好意的な印象を誰もが持っているはずだ。

だが、この常識が通用しない世界がある。
法の世界だ。
法の世界においては、善意とは「ある事情を知らない」ことを指し、悪意とは「ある事情を知っている」ということを指す。

・・そうだね、例えば僕の好物が豆腐だと知っている者は、僕の好物については「悪意の者」と表現され、知らない者は「善意の者」と表現される。
少し妙な感じがする者もいるだろうね。知る知らないで、善と悪に分けられるのだから。
それだけではないよ?法の世界においては基本的に<善意の者>は保護され、<悪意の者>は保護されない。

不思議だとは思わないかい?
知らないということが、何故<善>と言われるのか。そして、保護されるのか。
何故知るということが、<悪>とされるのか。
逆であるならば理解はしやすいはずだ。我々は学びそして知ることを少なくとも霊術院において、最も重きをおいて教えられているはずなのだから。無知は悪に等しいとされているはずだ。

だが実際は、無知であることが悪ではなく、善と表現される。
無知であることが善であると、法は言っていることになる。

・・何故だと思う?

あまり知られ過ぎると、困る輩が立法府にいるためだと僕は考えている。
何故その法は必要なのか、何故その内容になっているのか、何故必要もない法がいつまでも存在するのか。何故急な抜本的な対策が必要な所に、何時までたっても立法がされないのか。

・・知られすぎては困るんだ。
何故なら知られてしまうからね。自分の無知と怠惰と怠慢と無能さを。
それを知られてしまうと、自らの地位が危なくなるだろう?何故なら、それに携わる能力がないにもかかわらず、その職についていることが露呈してしまうからね。
無論、全部が全部とは言わない。だが、大部分は民が無知であることを望むはずだ。
そして、そういう者に限って言うものだ。
「法には従え」と。

・・実に滑稽だとは思わないかい?
自分たちに都合の良い法を作っているんだ。従ってもらわなければならないのは彼らの方なのにね。だが、そんなことはおくびにも出さない。それもまた<善意>であってほしいところだろう。

・・・僕の考えを言おう。

無知とは悪だ。

ある問題があるとする。その解決方法を探るには、その問題自体を理解することなくしては解決することなど、できはしない。
必要なのは、問題が起きないように押さえつける力などではなく、その問題を解決する力だ。
それは理解なくしてありえない。

もう一度言おう。無知とは悪だ。

そして、恥ずべき悪は、自らの無知と無能を知ろうとしない、尸魂界の最高機関四十六室だ。
そこに座っているのは、賢者などではない。
ただ老いた権力の亡者だ。

亡者は去るべきだと思わないかい?還るべき所に還るべきだ。
少なくとも彼らの理解する能力は、とうに死滅しているのだから。



・・僕が計画を実行する最初のなすべきことは・・・


四十六室の占拠だ。いや、皆殺しといった方が分かりやすいかな?

そして、護廷十三隊には踊ってもらおうか。
僕の出す四十六室の命にね。

恐らく少々異例な命であっても彼らは大人しく踊るだろう。
過去にも納得できない命が下ったことは多々あったからね。

こういう時には、彼らのこれまでの言動が役にたってくれる。



悪人たちの、数少ない善行というわけだ。

・・・・・・無知という悪人のね。





なんちゃって。

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